
東北自動車道【栃木IC】よりわずか3分!距離にするとIC出口からゴルフ場入口まで、たったの1500メートルという目と鼻の先です。この距離は関東一円のゴルフ場では類を見ないNo.1の近さ・便利さ。そのため都心からも70分という便利な好立地で、コンペ会場として最適なコースとしてご好評をいただいております。
位置的には栃木市の郊外の300メートル程の丘陵地にあり、東斜面で陽当たりも良く、栃木市から関東平野を見下ろす絶好のロケーションにとなっています。

日本の球聖と言われた【宮本留吉プロ】の設計による、プロトーナメント開催を意識して設計された本格的なチャンピオンコースです。宮本留吉プロは、当倶楽部の設計をほぼ終えて1985年(昭和60年)12月に逝去されました。当倶楽部の開場1991年より6年前のこと、この美しい日本庭園のようなコース完成を見ずに逝ってしまいました。その宮本留吉プロの遺志が脈々と注がれた18ホールズ。名物ホールは、13番ショート。関東平野を一望できる美しい打ち下ろしで、グリーンは池に囲まれています。いずれのホールも個性的で頭脳的プレーが求められます。
日本プロゴルフ殿堂入りしている伝説のプロゴルファー。日本最古のプロトーナメント・日本プロの第1回大会で優勝。1929年には安田幸吉とともに日本人プロ初の海外遠征としてハワイアンオープンに参戦した。有名な逸話は、1932年3月エキシビジョンマッチで球聖ボビー・ジョーンズと戦い、2アップで勝っている。これぞまさに「日本の球聖」と言われる所以。80歳を過ぎても毎日ゴルフ場に通っていました。そして「どんな年齢の人でも、誰とでも一緒に楽しめるゴルフの素晴らしさを、一人でも多くの人に知ってもらうのが、私に残された務めです」と語っていたという。1985年(昭和60年)12月、日課のレッスンを終えて帰宅後、急に容体が悪くなり、83歳の生涯を終えました。
当倶楽部で開催されるコンペは、イベントとプライベートコンペを合わせると1年で2,000回以上になります。単純計算で1日6回以上。全国のゴルフ場を探しても、18ホールで年間2,000回以上は異常な数字です。その理由は、いくつかあります。まずは栃木ICからわずか3分、都心から70分の希な好立地です。コンペは、多くの方々に集まっていただくので、参加者の多くの方にとって、交通の便が良く分かりやすい場所がベストです。もう1点は、当倶楽部のコンペサポート・サービスにあります。痒いところに手が届く、そんな至れり尽くせりのサポート体制をとっており、【お客様満足】を全社挙げて追求しているからだと自負しております。
是非一度、あなたご自身でお確かめいただきたく思います。
スタッフ一同、心よりお待ち申し上げております。
